アッピア街道 | ★★ | 2 | 共和制ローマ時代に造られた、ローマからイタリア半島南東岸に延びる街道。ローマ街道の中でもっとも歴史が古く、もっとも美しいといわれている。 | 4 | 230 | すべての道はローマに通ず |
アフィントンの白馬 | ★★ | 4 | およそ3000年前に描かれたとされる地上絵。長さ110mほど。 | | 380 | 美しい白馬 |
アポロ・エピクリウス神殿 | ★ | 2 | ペロポネソス半島中央部の山中にある神殿。ギリシャ神話の太陽神アポロンのために造られたといわれている。古代ギリシャにおける三つの主要な建築様式が用いられており、現地で採れる青みを帯びた方解石が素材となっている。 | | | もうひとつのアポロン神殿 |
アマルナの遺跡 | ★★ | 5 | 古代エジプトのフォラオ、アメンホテプ4世の造営した都。彼の死後すぐにテーベへの遷都が行われ、まもなく住民がいなくなったという。古い言葉で「アテン神の地平」を意味する「アケトアテン」とも呼ばれる。 | | | 他の神を知らず |
アラム・ムルの神の門 | ★★★★★ | 9 | チチカカ湖周辺にある遺跡。扉のように見える窪みがある。古代の王アラム・ムルはこの窪みを通って姿を消すと、二度と戻ってこなかったと伝えられる。 | 15 | 1400 | 古代の謎の遺跡 |
アルタイ山脈の岩刻絵群 | ★★★★★ | 7 | ザナドゥの周辺で見られる、岩に刻まれた動物たちの絵。羊や馬、ヤギなどの動物や、動物を追う狩人の姿が描かれている。古代の人々の生活の様子を垣間見れる貴重な遺跡。 | 9 | 830 | 山壁の絵 |
アルハンブラ宮殿 | ★★★★★ | 10 | イスパニアの古都、グラナダ郊外の丘の上にある宮殿。かつてこの地を支配したムーア人が9世紀に建てた砦に由来するという。レコンキスタ後に神聖ローマ皇帝カール5世の避暑地となり、イスラムの要素を排除する方針で改築された。 | 15 | 1290 | グラナダの影 |
アルメンドレスの環状列石 | ★★ | | ポルトガル各地にあるクロムレック(環状列石)の一つ。リスボンの東にある古都エヴォラの郊外にあり、規模も古さもポルトガル随一だという。 | 3 | 300 | 自然の業にあらず |
ウル | ★★ | 3 | 古代メソポタミアで、政治と経済の中心地だったと言われるシュメール人の都市。ウル・ナンム王が建造したという、ジッグラトと呼ばれる建造物が大きな特徴。 | 5 | 330 | 古代メソポタミアの都市 |
ウルク | ★★★★ | 7 | 古代メソポタミアにおいて栄えた、シュメール人の都市の一つ。古代の文字が刻まれた粘土板が多数見つかっており、かつての政治・経済の中心地であったことを物語っている。 | 8 | 700 | 伝説の王にまつわる遺跡 |
ウルグ・ベク天文台跡 | ★★★ | | 学者たちを保護し、自身も天文学者であったサマルカンドの領主ウルグ・ベクによって建造された天文台。当時のイスラム世界において先進的な研究施設であった。 | | | オアシス都市にある遺跡 |
ウルル | ★★★★★ | 8 | オーストラリアの先住民アボリジニにウルルと呼ばれている、一枚岩でできた巨大な岩。アボリジニにとっては聖地である。ウルルには精霊が宿っていると考えられ、儀式の際は多くのアボリジニたちが集まる。 | 10 | 1027 | 砂漠の向こうの聖地 |
エル・カズネ | ★★★★★ | 9 | ペトラ遺跡の王墓。盗賊が宝物を隠したという伝説から、宝物殿と呼ばれるようになったようだ。 | | | 探索すべきものは |
エルミナ城 | ★★★ | | アフリカとの交易を保護する、という目的でポルトガルにより建設された城。かの地は黄金海岸と称されるほどの金の産出量を誇り、この城も交易において大きな役割を果たしていた。 | | | 王族が築いた交易拠点 |
オリンピア遺跡 | ★ | 2 | 多数の神殿や競技場がある古代ギリシャの遺跡。オリンピック競技が行われていたため、各種競技に関連する建造物が多い。 | 1 | 100 | ゼウスに捧げる祭典 |
カステル・デル・モンテ | ★★ | 3 | | 3 | 240 | 城の使いみち |
カタ・ジュタ | ★★ | 7 | 地元の言葉で「多くの頭」という意味の岩山で、ウルルと同じく現地人たちの聖地の一つでもある。夜間にさまざまな儀式が行われており、罪人を罰する刑場としての役割も果たしているようだ。 | 10 | 370 | 先住民の聖域の地図 |
カッパドキア | ★★ | 3 | 長い間、風雨にさらされた奇岩がそびえたつ地域。かつて迫害を避けた人々が岩をくりぬいて作った街が残っている。 | 5 | 350 | 奇岩の宗教都市 |
カホキアの土塁 | ★★★★ | 9 | ミシシッピ川流域に住む人々が築いた、巨大な土塁。土塁の上には身分の高い人物が住んだといわれる。最大のもので、規模はおよそ縦300m、横250m、高さ30mにも及ぶ。 | 8 | 640 | 巨大な丘 |
ガムラ・ウプサラ | ★★★★ | 7 | ストックホルムより北に位置する地域名。 中世まで北欧の中心地として栄え、歴代のスウェーデン王の墳墓と居城があった。近くには北欧最古のウプサラ大学があり、グスタフ2世アドルフの右腕であるオクセンシェルナなどを輩出している。 | 8 | 750 | 戴冠の地 |
カルタゴ遺跡 | ★ | 2 | 古代フェニキア人が造った都市国家の跡。第三次ポエニ戦争でローマに滅ぼされたといわれる。カエサルによって再建されたが、7世紀末に廃墟となった。 | 1 | 110 | ポエニ戦争の爪跡 |
カルナック巨石群 | ★ | 3 | 先史時代の巨石群。4000を超える巨石が立ち並ぶが、なんのために並べたのか、まったく謎である。付近には巨石遺構が多く、墓のようなものもある。 | 1 | 95 | 列をなす巨石 |
カンペチェ要塞 | ★★★★ | 6 | メキシコ湾に面する貿易港であるカンペチェに築かれた要塞。海賊の襲撃に対する防衛を目的としている。 | 7 | 680 | カンペチェ湾の要塞 |
カーリバンガン遺跡 | ★★★★★ | 10 | インド西部にあるインダス文明の都市遺跡。古代には流れていた大河の左岸に築かれた都市だったという。 焼きレンガを用いた区画が少なく、大半に日干しレンガを使っているのが、モヘンジョダロなどと大きく異なる点である。 | 11 | 960 | いにしえの河をたどって |
ギマランイス城 | ★★★★ | | ポルトガルの初代国王であるアフォンソ一世が生まれ育った城。かつてギマラインスは修道院と集落しか存在しない土地だったが、北方のヴァイキングの襲撃と略奪から街を守るため、城が建造された。 | | | 独立を果たした王 |
ギョベクリ・テペの石柱群 | ★★ | 7 | 現地の言葉で「太鼓腹の丘」の意味を持つ遺構。巨大な石柱がいくつも円を描くように並べられており、動物のようなレリーフが彫られた石柱も時折見られる。かなり大昔のものと思われるが、誰が何のために造ったのかは分からない。 | 9 | 350 | 先史時代の史跡の地図 |
ギルフ・ケビール | ★★★ | 4 | サハラ東部に位置する砂岩の台地。枯れ川がいくつも走っており、それに沿った岩壁には古代の人々が描いたとされる壁画が残されている。 | | 460 | 国より大きな台地 |
グイマーのピラミッド | ★★★★★ | 10 | カナリア諸島のテネリフェ島にある、長方形の階段状ピラミッド。積み上げられた石には加工が施されているが誰がなんの目的で作ったかは謎である。 | 11 | | 謎のピラミッドの調査 |
クスコ | ★★★★★ | 10 | インカ帝国中心都市。クスコとは現地の言葉で「へそ」という意味だという。滑らかで美しい巨石を幾重にも組んで作られ、その間には爪の先も入らないほどだ。この技術には目を見張るものがある。 | 11 | 1040 | アンデスにそびえる都 |
クノッソス宮殿 | ★★★★ | 5 | 古代クレタ文明の遺跡である。ギリシャ神話に登場する、ミノス王の居城跡。この宮殿の奥には、ミノタウロスがいたという迷宮「ラビュリントス」があったと伝えられる。 | 8 | 708 | ラビュリントスの伝説 |
クリフ・パレス | ★★ | 6 | 北米の先住民であるアナサジ族が築いたとみられる集落の跡。巨大な岸壁をくり抜いて造られている。 | 6 | 260 | 岩窟遺跡の調査 |
コパン遺跡 | ★★★★★ | 9 | 大雨による川の氾濫で発見された、マヤの大都市遺跡。他のマヤ遺跡には見られない独特の石像彫刻や壁画が見られ、彫刻技術の高さを感じさせる。 | 11 | 1040 | 街の奥にあったもの |
コロッセウム | ★★★ | 6 | 古代ローマの帝政期に築かれた円形闘技場。四万人余りの観客を収容でき、幾度もの剣闘士競技が繰り広げられた場所である。皇帝・ネロの巨像(コロッスス)が近くにあったため、コロッセウムと呼ばれるようになったという。 | 6 | 470 | 古代遺跡と闘技場 |
コンスタンティヌスの凱旋門 | ★★ | 4 | 帝政ローマ時代、戦争後の凱旋記念のために作られた門。コンスタンティヌス帝が正帝のマクセンティウス帝の勝利を祝って、作ったといわれている。 | 4 | 330 | つぎはぎの門 |
コンドアの岩絵群 | ★★★★★ | | 数千年にわたり蓄積されてきた岩絵。赤い絵と白黒の絵があり、赤い絵のほうが、より古い時代に描かれたもののようだ。 | | | 岩絵からわかること |
サットン・フー | ★★★★ | 5 | ブリテン島の東部にある、古代の墓所。棺の代わりに、船の中に遺体を納めてある。船には多くの副葬品も備えられており、古代の生活を今に伝えている。 | 8 | 700 | 船の墓 |
ザナドゥ | ★★★★★ | 10 | モンゴル高原南部の都市。元朝の皇帝が建設し、夏の間、都として政務を行った。 『東方見聞録』では技術の粋を尽くした優美な都市と紹介され、多くの航海者の憧れの的となった。 | 15 | 1440 | 約束がくれた未来 |
サーペント・マウンド | ★★★★★ | 9 | 北米東部にある、ヘビのような形をした丘。丘の周りは堀があり、陵墓のようでもあるが不明な部分も多い。 ヘビの形は星座に関係しているのかもしれない。 | 13 | 1120 | 丘か、陵墓か |
シエガ・ベルデの岩絵遺跡群 | ★★ | 9 | ポルトガル北部のコア渓谷からイスパニア西部のシエガ・ベルデにかけて広がる遺跡。数千に及ぶ線刻画で動物や人などが描かれている。二万年前から存在していると見られ、この地域の野外にある古代の岩絵としては最大規模である。 | | | 岩に描かれた線 |
ジョギンズの化石の崖群 | ★★★★ | 9 | 不思議な石が多く見られる崖。もともとは、ただの石崖だったが、潮の浸食により、動物の骨が石化したものが多く見つかるようになった。 | 10 | 800 | 太古の崖 |
ジンバブエ遺跡 | ★★ | 3 | アフリカ南方にある、石造の建造物群。ショナ語で「石の家」という意味で、モノモタパ王国の都であった。アフリカで石造建築物を持つ文化は珍しい。 | 4 | 260 | 大いなる石の家 |
スウェット・ロッジ | ★★★★ | | 北米の先住民族の間で広く使用されている、儀式用の小屋。薬草の香りを含んだ蒸気で室内を満たし、心身の浄化を行う。 | | | 儀式の調査 |
スヴァネティの塔 | ★★★ | 5 | コーカサス山脈の谷間にある、スヴァネティ地方の村々で見られる不思議な塔。建てられた年代によって、形状が少しずつ異なる。 | 7 | | 秘境に立つ塔 |
セルメルミュート | ★★★★★ | 8 | グリーンランドで最も古く、最も大きな集落の跡。大きな遺構などはなく、一見すると単なる渓谷のようだ。 | 10 | 1050 | グリーンランドの居住跡 |
タオス・プエブロ | ★★ | 6 | 北米の先住民であるプエブロ民族が築いた集落。建物は赤褐色のレンガで造られ、複数の階を持つ。 | 6 | 360 | 積み重ねられたレンガの家 |
タッシリ・ナジェール | ★★★ | 6 | サハラの中央部にある台地状の山脈。侵食によってできた印象的な奇岩が並ぶ。洞窟内にはウシの群れやワニが描かれた岩がある。大昔の付近の様子を描いたと思われるが、現在の砂漠からは信じがたい風景である。 | | | 不思議な岩山 |
ターヌムの岩絵群 | ★★ | 3 | ターヌムスヘーデという街で発見された、岩石線画の刻まれた平面岩。青銅器時代から鉄器時代にかの地で暮らした、人々の生活をうかがい知ることができる貴重なもの。 | 5 | 360 | 太古の絵画 |
チチェンイッツァ | ★★★★ | 7 | ユカタン半島に花開いたマヤの遺跡。「チチェンイッツァ」とは、「泉のほとり」という意味らしい。非常に広大な土地に展開し、ピラミッド型神殿を中心に、聖なる泉、戦士の神殿、天文台などがある。 | 7 | 624 | 水のない文明 |
チョガ・ザンビール | ★★★★★ | 8 | 古代エラム人が築いた宗教的中心地の遺構。連結した壁で三層に仕切られており、その最も内側にはジッグラトが建てられている。保存状態がかなり良いという特徴がある。 | 11 | 1060 | 旧約聖書の逸話の元 |
ツォディロの岩絵 | ★★★ | 4 | カラハリ砂漠の丘陵地帯にある岩に描かれた絵。非常に狭い範囲に鮮やかな数千もの絵が描かれており、この地の歴史を知る手がかりとなりそうだ。 | 6 | | 聖地の岩絵 |
ティリンス遺跡 | ★★ | 3 | ペロポネソス半島の東部にあるミケナイ文明の遺跡。分厚く強固な城壁には大きな石材が使われており、ギリシャ神話のサイクルロプスが積んだともいわれている。またヘラクレスの出生地という逸言もある。 | 4 | 280 | ヘラクレスの出生地 |
テノチティトラン | ★★★★★ | 10 | アステカ帝国の首都。テスココ湖の中心にある島に作られた都で、岸に向けて3本の橋が架かるさまは壮麗。コルテスも「あまりに広く美しいので半分しか報告しません」と報告書に記している。 | 10 | 1274 | 別世界 |
テペ・ガウラ | ★★★★ | 8 | 古代メソポタミアの考古遺跡。新石器時代から高アッシリア時代まで、幅広の年代の住居が残っている。また、ギリシア建築やイタリア建築にみられる付け柱とアーキボルトで裝飾された世界最古の神殿がある。 | 10 | 760 | ダ・ヴィンチ氏からのおつかい |
トゥウェイフルフォンテーン | ★★★★★ | 9 | 西アフリカに位置する遺跡。2000点を超える線画が岩石に描かれている。主にゾウやキリンなどの動物が描かれており、中には人間の足型なども見られる。 | 10 | 970 | 岩壁の絵 |
ドゥッガ | ★★★★★ | | 北アフリカに残るローマ、ビザンツ時代の遺跡。「防衛する」を意味する「トゥッガ」という言葉が名前の由来だとされる。神殿や浴場、劇場があった形跡もあり、当時の繁栄が窺える。 | | | ローマとビザンツの遺跡 |
トゥルム遺跡 | ★★★★ | | マヤ人が造った城塞都市の遺跡。 13世紀から15世紀の間に、貿易で繁栄したマヤ文明最後の都市のひとつである。 | | 630 | マヤ文明の港街 |
トロイ考古学地区 | ★★★★★ | 6 | ホメロス作の叙事詩「イリアス」で語られるトロイの遺跡。別名はイリオス。トロイの木馬でギリシャ軍に城内に進入され、滅んだと伝えられる。 | 10 | 1027 | トロイ |
ニネヴェ | ★★★★ | 9 | アッシリア帝国が後期に首都を置いた都市。 アッシリア中の書物が集められたアッシュールバニパルの図書館があったといわれる。 | 10 | 881 | 王の図書館 |
バッファロー・ジャンプ | ★★★ | 4 | 正式名称は「ヘッド・スマッシュト・イン・バッファロー・ジャンプ」。北米北西部にある崖。周辺の草原に生息するアメリカバイソン(バッファロー)を追い込んで狩る場所として、古来より利用されており、古い矢尻なども見つかっている。 | 4 | 490 | 地形を利用した狩り |
ハドリアヌスの長城 | ★★★★★ | 5 | ローマ帝国の時代に、皇帝ハドリアヌスの命により築かれた防塁。帝国領土への、ケルト人の侵入を阻止することが目的とされる。 10年もの歳月をかけ、110km余りの距離にわたって建設された。 | 10 | 950 | ローマ帝国の政策転換 |
パフォス | ★ | 2 | キプロスの丘の上にある、古代ローマの遺跡である。建物跡やモザイクの壁画などが数多く残る。キプロスは、多くの文明が交錯した土地である。 | 2 | 135 | 美の女神に捧げられた街 |
パレンケ | ★★★★★ | 9 | 深い森の中にたたずむマヤの古い遺跡。中心部にある宮殿のような建物の向かいには、なにやら壁にびっしりと刻まれた神殿がある。これを解読できれば、マヤについて深く知ることができるかもしれない。 | 12 | 1183 | 星の戦争 |
ヒエラポリス・パムッカレ | ★★★★★ | 9 | 古代ローマの都市のひとつであったヒエラポリスの遺跡。ローマより前に栄えたペルガモン王国の時代から温泉地として名高い一方で共同墓地も数多く存在している。アポロン神殿の近くに「冥王の門」と呼ばれる洞窟があるという。 | 11 | 990 | 冥府につながる街 |
ビブロス | ★ | 2 | 古代の砦や街の遺跡。幾度も支配勢力が交替したため、複数の文明の遺構が複雑に重なり合っている。 | 2 | 135 | 宝物の要塞 |
フォロの浴場 | ★ | 1 | 古代ローマの都市であるポンペイにあった公共の浴場。脱衣場やさまざまな温度の浴室が設けられている。 | 1 | 170 | ポンペイ遺跡の追加調査 |
フォロ・ロマーノ | ★★★ | 5 | 古代ローマの政治・経済・宗教の中心地だったとされる遺跡。広場や議事堂、神殿などの遺構が並び、隆盛を極めた古代ローマの有様をうかがい知れる。 | 7 | 540 | 古代遺跡の歩き方 |
プスカリニ池 | ★★★★ | 6 | 釈迦の生誕地とされるルンビニにある池。釈迦はこの池で沐浴をした生母の脇の下から生まれ、産湯にはこの池の水が使われたと伝えられている。 | 6 | | 釈迦の生まれた地 |
フマナ平原 | ★★★★★ | 9 | 南米大陸の中腹、アンデス山脈の西側の裾野にある高原。砂漠が広がっており、ところどころにくぼみがある。なにやらただのくぼみではなさそうだが…。 | 11 | 1030 | 未開の土地の妙なもの |
ヘイアウ | ★ | 3 | 積み石で囲んだ一帯で聖域とされる。ハワイ島の随所に散在する。精霊や神々への祈りを捧げる場所であるらしく、祭神によって呼び方も異なる。 | 8 | 182 | 石囲いの聖地 |
ベニ・ハンマードの城塞 | ★★★★ | 6 | ハンマード朝の始祖が建造したという城塞都市。すでに廃墟と化して長いが、いまだ多くの史跡が残っている。 | | 630 | 滅びた王朝 |
ペルセポリス遺跡 | ★★ | 2 | アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世が着工した、ペルシャの大宮殿跡。広大な敷地に多数の石柱や独特の石像、すばらしいレリーフが残る。 | 3 | 220 | 古代ペルシャの大宮殿 |
ベルレンガの要塞 | ★ | 1 | リスボンの北にあるベルレンガ・グランデ島に建てられた砦。正式名は「サン・ジョアン・バプティスタ要塞」という。海上防衛のために修道院の遺構を利用して築かれ、しばしばバルバリア海賊などの標的となった。 | 1 | 110 | 防衛拠点の地図 |
ボイン渓谷遺跡群 | ★★ | 3 | アイルランドにある、先史時代の遺跡群。緻密な石組みの墳墓が並ぶ。奥の墓室には冬至の前後数日のみ、朝日が差し込む。 | 4 | 250 | アイルランドの遺跡 |
ポンペイ遺跡 | ★ | 2 | ヴェスヴィオ火山の大噴火によって一瞬で滅びた、古代ローマの都市。火山灰に埋もれていたため当時の生活の様子が生々しく残る。 | 1 | 100 | 埋もれたローマ遺跡 |
マダラの騎士像 | ★★★★ | 5 | | 8 | 630 | 草原の民の足跡 |
マチュピチュ | ★★★★★ | 10 | 高い峰々に囲まれたインカ帝国の都市。ケチュア語で「老いた峰」を意味する。段々畑や居住区、神殿などが計画的に配置され、インカの高度な建築技術がうかがえる。 | 12 | 1200 | 儀式の場所 |
ミュケナイ遺跡 | ★★★★ | 7 | ペロポネソス半島の北東部にある遺跡。紀元前に栄えていた、ミュケナイ文明の中心地。数々の黄金細工が発見されており、当時は金がよく利用されていたとみられる。 | | | 黄金に富む伝説の都 |
ムスタンの洞窟群 | ★★★★★ | 8 | ネパール地方の、とある断崖に掘られた謎の洞窟群。仏教壁画が存在し、宗教的施設だった可能性がある。しかしいまだ解明されていない謎も多く、なんのために掘られたのかを断定することはできない。 | | 1100 | 断崖の洞窟 |
ムティジュルの泉 | ★★★★★ | 8 | ウルルのふもとにある池で、岩山から伝ってくる雨水によって、決して涸れることがないという。クニヤという名のニシキヘビの祖先が虹色の蛇に姿を変えて、今もなお池に棲むという伝承が現地人たちの間に残っている。 | 12 | 1110 | 不滅のヘビ |
モヘンジョ・ダロ | ★★★ | 5 | インダス文明の大都市遺跡。非常によく整備された街並みを持ち、下水道すら完備されている。「死の丘」などと呼ばれるのは、全体に人骨が散在するためである。 | 6 | 473 | 古代文明の大都市 |
ヤシ油製造場跡 | ★★★ | 7 | 儀式に使用されていたヤシ油を製造するための場所。石の台の上で作られたヤシ油は、使用しないときもこの場所に保管される。 | 7 | 490 | 誘いの甘い香り |
ラガシュ | ★★★ | 6 | 古代メソポタミアにおいて栄えた、シュメール人の都市の一つ。隣国・ウンマの王であるルガルザゲシの征服によって衰退した。 | 6 | 510 | ウルに並ぶ都市国家 |
ランス・オ・メドー | ★★★★★ | 10 | 新大陸北部、テラ・ノヴァにある史跡。北欧のヴァイキングが移住した場所と考えられている。いくつかの建物が良い状態で残っておりこれらは作業場として使われたと考えられている。 | 14 | 1270 | 悪夢を醒ます夢 |
リューリクの墓 | ★★★★★ | 7 | 『原初年代記』によると、リューリクはロシア帝国の基盤となる最初の国家を建設したという。元はヴァイキングであったようだ。彼は死ぬまで人々の指導者として、国家を統治したらしい。 | 10 | 1100 | ロシアの始まり |
レプティス・マグナの遺跡 | ★ | 2 | ローマのセプティミウス・セウェルス帝が建造した大都市の遺構。大理石をふんだんに使った施設跡が並び、当時の興隆が見えるようだ。 | 1 | 105 | 古代ローマの都市跡 |
ロードス騎士団の城塞都市 | ★★★ | 6 | 本拠地を奪われた聖ヨハネ騎士団がロードス島に築いた要塞都市。 街全体を囲む高さ12mの城壁は、全長4kmに及び、敵国の攻撃を幾度となく撃退したという。 | 8 | 540 | ロードス島を再調査 |
ワカ・プクヤーナ | ★ | 3 | リマにある古代遺跡。日干しレンガを縦に積み重ねた、大きなピラミッドがある。かつて辺り一帯を治めていた宗教都市であり、数々の祭事が行われていたとされる。 | 6 | 200 | 古代文明の地図 |
ヴェルギナ遺跡 | ★★★★ | 4 | 古代マケドニアの都・アイガイがあったとされる遺跡。マケドニア王のものと考えられる古墳がある。 | 7 | 612 | 見果てぬ夢 |
安土城 | ★★★★★ | 10 | 五層七階の天守を備えた日本の城郭。その壮麗な姿は、築城主の勢威を物語る。 火災が起こって以来、天守は使用されていない。 | 12 | 1120 | 覇業の残光 |
巨人のテーブル | ★★★★★ | 5 | バレン高原に存在する古代史跡。新石器時代に建てられた墓だと思われる。この巨大な岩を、どのように運んだのだろうか…。 | 9 | 820 | 巨人の積み上げた石 |
金庚信の墓 | ★★★ | 8 | 新羅の将軍・金庚信の墓。 金庚信は花郎の出身で武烈王から厚い信頼を得た。新羅の三国統一に多大な功績を残したものの、統一目前で没し、ここに葬られた。 | 7 | 540 | 花郎の将軍 |
景福宮 | ★★★★ | 5 | 朝鮮王朝の王宮として建築された、豪華な宮殿。 宮の名前は、王とその子孫、国民みんなが太平盛大の福を享受するように、祈りを込めて付けられたという。 | 7 | 620 | 漢陽の宮殿 |
紅毛城 | ★★★★★ | 10 | イスパニア人が築城した赤い城。鄭成功が台湾島を平定してからは廃屋となっている。 華やかな外観だが、地下からは異様な雰囲気が漂ってくる…。 | 12 | 1120 | 中断された依頼 |
古蜀の遺跡 | ★★★★★ | 9 | 紀元前に栄えていた古蜀文化の遺跡。長江の上流に位置する。非常に広大な遺跡で、縦目仮面の他にも貴重な物が眠っていると思われる。 | 14 | 1230 | 古蜀の旧跡 |
古代の闘技場 | ★★★★ | 8 | 古代の球技「トラチトリ」が行われていたと思われる球場。 他のマヤ文明の遺跡でも球場は見られるが、コパンのものは最大級であることから、当時の勢力の大きさが窺える。 | 9 | 720 | 広場にある斜面 |
昌徳宮 | ★★ | 6 | 景福宮の離宮。 他の宮は、威厳を示すため、人為的に地形を作って建てられることが多いが、この離宮は自然の地形に合わせて建てられている。 | 5 | 300 | もうひとつの宮殿 |
赤壁 | ★★★★★ | 6 | 後漢末期に華北を平定した曹操が、孫権・劉備の連合軍に敗走したと伝えられる場所。連合軍が曹操軍を焼き討ちしたとも、疫病の蔓延した曹操軍が船を焼いて撤退したともいわれているが、真相は不明である。 | 10 | 820 | 天下分け目 |
熱蘭遮城 | ★★★★ | 9 | 読みは「ゼーランディアじょう」。ネーデルラント人が台湾島に築城した城砦。 石材で築かれた堅固な城で、大量の船が停泊できる大きな港を擁していた。 | 9 | 720 | 王城の過去 |
手形で描かれた壁画 | ★★★ | 6 | 先住民によって作られた洞窟壁画。「多くの手の洞窟」という意味を持つ。 赤い顔料によって残された手形の他に、この近辺で見られる野生動物を模した絵も一緒に描かれている。 | 7 | 500 | 洞窟で見た恐怖 |
東坡赤壁 | ★★ | 4 | 北宋の文人である蘇軾が黄州に左遷された頃に「赤壁賦」前後作を作ったとされる場所。三国志で有名な赤壁から程近い場所にある。晩唐の詩人、杜牧が詩に詠んだことで、古戦場の赤壁と混同されたといわれる。 | 10 | 360 | 士大夫の書きつけ |
万里の長城 | ★★★★★ | 10 | 全長6000km以上にも及ぶ堅固な大城壁。 秦の始皇帝が、国の北側に建造された城壁をつなぎ合わせて造ったのが始まりである。 | 13 | 1190 | 華北の建造物調査 |
武寧王陵 | ★★★★ | 8 | 百済25代王、武寧王の陵墓。 武寧王は百済の国力を回復するため、中国や日本と密接な関係を築き上げたという。 | 10 | 700 | 百済の都の名残 |
兵馬俑坑 | ★★★★★ | 9 | 巨大な陵墓。副葬品として、兵馬俑と呼ばれる将兵や馬などを象った人形が大量に埋められている。あまりに規模が大きいため、いまだ全容を把握する者は存在しない。 | 15 | 1510 | 豪華極まる墓 |
未完の礼拝堂 | ★ | | バターリャ修道院にある礼拝堂の一つ。王族たちが永眠する場所として使うため、ドゥアルテ王子が建築計画を主導した。 | 4 | 193 | 輝きの世代 |
豫園 | ★★★★★ | 9 | 読みは「ゆえん」。 四川の役人が、故郷を懐かしむ両親のために贈った庭園。 この名前には、平和な楽しい園という意味が込められている。 | 10 | 810 | きらびやかな庭園 |